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「就活の奴隷」とは被害者意識も甚だしいな

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今日こんなことがあったらしい。

 

 雨空の新宿に響く 「私たちは就活の奴隷じゃない」  

 http://tanakaryusaku.jp/2012/11/0005658

 

こういうのを見るたびにつくづく思うのは、大学卒業までの間にこの社会で生き抜いていく力を何故身につけてこなかったのか、ということだ。

 

私は競争社会というものを乗り越えた経験が、デモをしていた大学生よりも1度少ない。つまり、大学受験という競争を経験していない。そういう意味では、彼らのほうが競争を勝ち抜いた経験値は高い。そしてそれは学歴の優劣においても、私より彼らの方が圧倒的に有利だということだ。

 

だが、彼らは希望の会社に採用してもらえず、内定をもらえてもブラックだったという状況に追い込まれ、その負のエネルギーで雨の中シュプレヒコールを響かせ歩いたというわけだ。

 

だが、それは社会のせいなのか。

 

狩猟採集の時代だったら次の食事が保証されていないし、身分制度が強かった時代はもっと抑圧された人生を送っていただろう。戦国時代であれば明日行きている保証などまったくないし、戦時下であれば否応なしに死の覚悟を決め出兵しなければならない。

 

会社に入り経済活動に勤しむことが今日の生きる術である。会社とは小さな社会であり、多様な性格の人間が同じ組織、あるいは取引先であり顧客である以上、「我慢」や「忍耐」こそがもっとも必要な能力である。

 

会社に勤める従業員は皆、基本的には社長の分身となることが仕事である。

 

会社の業務は、利益を生み出すためのすべてのことであり、営業や販売、マーケティング、カスタマーサポート、企画、宣伝広告、資材調達、商品・サービス開発、デザイン設計、財務、経理、税務、会計、法務、その他諸々・・・とにかく事業にもよるがやることがたくさんある。

 

敏腕な社長であれば1人で10役も20役もこなせるかもしれないが、普通は人を雇って社長が抱えていた仕事を任せていく。人が増えればマネジメントや人事管理も必要になってくるからさらにその人材も確保しなければいけなくなる。

 

社長が1人で抱えていた仕事を任されるのだから、社長の分身ということである。対外折衝の際には社長が接しているレベルの応対やふるまいをして会社の信頼を損ねないようにしなければならない。

 

そのために、入社したらその会社のカラーに染まることが大事だ。少なくとも日本の会社はそうなっている。極論を言えば、社長のコピー人間になれば仕事はしっかりできるし、重要な仕事も任され役職も給与も上がっていく。

 

つまり、会社選びは社長の資質の見極めが重要だということだ。

 

会社説明会や入社試験は、それを見極めるための大切な機会だ。人事部の面接官と役員面接でのやりとりの中で、経営者と従業員の差に見解のギャップが無いかどうかを見極めることもできる。

 

採用面接は自己アピールの場とだけ思っている人が多くいるかもしれないが、それは間違いである。

 

自分を見(魅)せるのと同時に、会社の体質を見る場なのだ。

 

入社してからブラックとわかったというのは、単純にリサーチ不足であり落ち度は当人にある。まだ入社して長期間一緒に仕事をしていくことが確定していない段階なのだから、世間知らずな学生のふりをしてズケズケと離職率や残業の実情など聞けばいいのだ。

 

ネットでも企業のブラック具合などはなんとなくのレベルで調べられるし、名のない中小企業であってもブラックかどうかは社名ではなく業界や職種でおおまかに判断できる。

 

求人雑誌に常に求人が出ていたりするのはたいていがブラック企業である。歩合率の高い営業職や、薄給長時間残業のシステム下請け、飲食やアパレル業界がそうであり、離職率が高いから求人がいつも出ているのだ。

 

ただし、離職率が高いということは出世レースを勝ち抜きやすいということでもある。管理職に付くまでは休みなしで実績を作ることに追われる毎日が続くだろうが、時間が経つにつれて周囲は辞めて離脱していくし、成果主義の会社で出世した上司はたいてい独立志向が強いから上も抜けていき自分がどんどん繰り上がっていく。

 

「我慢」と「忍耐」が備わっていれば、能力に長けていなくても役職と収入がついてくるというわけだ。会社内での影響力を持つようになってくると、少なくとも管轄下の部署は自分の好きな色に染められるようになる。

 

一方で、役職についていなくても上司にモノ言えない部下は怠慢だと私は考えている。たとえば朝6時出勤で深夜0時まで拘束されたとしよう。明らかに管理職の能力不足であるが、無能ならばさらに上の管理職に改善を求めるか、自らその勤務体制の見直し案を提案すれば良い。

 

会社を良くしようという提案を排除する会社であれば、それがわかってから辞めれば良い。だが、たいていの職場は対話不足が原因で悪いサイクルを続けている場合が多いはずだ。「我慢すること」は「悪しき慣習を放置すること」とイコールではない。

 

会社と従業員の関係は、契約関係である。就業規則に改善提案をしてはいけないと書いている会社は無いだろうし、会社をよくしようという末端スタッフの動きを妨害する会社はどのみち長くはない。

 

ちなみに我慢できない人材は、入社試験でふるい落とされる。性格診断テストはもちろん、面接時にはわざといじわるでムカッとくるような質問を投げかけられてストレス耐性を見られる。

 

「あの面接官ひどい人だった!こんなブラック会社こちらからお断りだ!」などと思っているとしたらとんだ勘違いだ。もちろん中にはガチでDQNな面接官もいるかもしれないが、何社も面接を受けていて同じように思うことが続いていたら、それは自分自身に問題があると自覚するべきである。

 

我慢や忍耐力が認められないと、会社組織の中で円滑なコミュニケーションを取れないから、その場合は「お祈り通知」が届くことになる。入社条件として、我欲を抑えつつ会社組織において与えられた役割をしっかり果たせるかどうかが見られるのである。

 

私自身も我欲が強くマイペースで周囲の空気など一切読まない人間であったが、このまま社会に出たら社会不適合者になってしまうという危機感から新聞奨学生を始め親から経済的独立を果たすとともに、世間の冷たい視線の中で朝夕刊配達・集金・契約業務をこなすと同時に通学もし卒業をするという、自由度の無い環境へ自分を追い込んだ。

 

三つ子の魂百までというように、生まれ持った素の性格はそう変わるものではない。だが、社会に適合した「顔」を持てなければ生きていけないから、当時の自分としては強烈な修行をしたのだ。

 

幸いにも就職後は周囲がどんどん辞めていくブラック企業であったにもかかわらず、また従事した仕事での能力的には劣っていたにもかかわらず、私は会社に残り実績を積み上げていった。顧客からも信頼を得られリピーターになっていただいたおかげで成果に応じた役職も得ていき、業界内での実績を引っさげて大手へ潜り込むこともできたし、その後は経歴や実績を評価されて会社役員への就任もできた。

 

転職の際に感じたことは、世間はいまだに学歴社会であるということだ。転職を考えた時に割と学歴がネックになり選択肢が狭められる。転職したい会社を見つけても「大卒以上」が要件の会社は多く諦めざるを得なかったことも多々ある。基本的に大企業を受ける場合は入り口の人事担当の権限がそれほど大きくないため、大卒要件を満たさない特例を受け入れてもらいにくいのだ。

 

デモをしていたのは、記事を読む限り大卒者だ。新卒で希望の大企業や中央官庁に入れなくても、バイトしながら7年かけて正規雇用の公務員になって安定を得てもいいし、仮に非正規であっても結婚して子どもを育てられない社会ではない。

 

ひとむかし前の世代が「中流」という常識を作ってしまったために、一定のラインに満たないと劣等感を感じてうつになったり自殺してしまったりする人が出てくる。

 

しかし、現実の世の中には多様な生き方がある。会社を辞めて山でイノシシを捕まえて暮らしている人だっているし、仮病で鬱病診断書をゲットしナマポをせしめながら都会の狭いマンションで暮らしている人もいる。

 

企業に雇われる形ではなく、自ら会社を興して自作の商品で商売している人だっているし、自分で売り物を作れなくてもネットで海外から仕入れたモノを国内で通販したり、知識やサービスを売ってコンサル業で生計を立てている人もいる。

 

だが、依然として少数派を見下し多様性を認めない空気がこの国には流れている。ほんとうの意味で「個」の時代にはなっていない証左である。

 

 「大学は就職予備校じゃないぞ」

 「私たちは就活の奴隷じゃないぞ」

 

こんな被害者意識丸出しの甘ちゃんが就職できたところで会社側はメリットよりもリスクの方を考えてしまうだろう。経済活動を行う会社組織に適合できる人材を育てる=生きる力を身につけさせるという教育が社会に出る前にまったくなされていないことは、大問題である。

 

先日、さかもと未明騒動でも思ったが、社会に適合できない人間があまりにも多すぎるのではないか。それは社会の空気が悪いということにはならない。社会の空気とは何かというと、人間という種が存続していくために本能や無意識の欲望から形成する社会通念だからである。

 

かれら大学生は赤ん坊ではなく、判断能力もあれば指摘や注意を受け入れ向上していける年齢である。金銭貸し借りや高額商品の契約行為も行える大人なのだ。

 

「就職したいのに社会がさせてくれない」というのは、「お腹が空いているのにママがミルクをくれない」というのと同じである。赤ちゃんであれば泣けば周囲が手を差し伸べ察し対処してくれるが、成人した者がシュプレヒコールを叫んだところで、このご時世、どこかの社長が手を差し伸べて「かわいそうだね、うちで面倒みてあげるよ」なんて言ってくれるわけがないのだ。

 

かくいう私も、親から独立する前までは「かわいそうだね、助けてあげる」を待つだけの生き方をしていた。助けてほしそうにしていると、助けてくれるという面倒見の良い周囲に恵まれた環境だった。ほしそうにしていれば分けて恵んでくれるし、泣いたふりをすれば友人が代わりに仕返ししてくれるし、ひとりでポツンとしていれば勝手に周囲が集まって仲間に入れてくれた。

 

だから、今でもそうだが自分から声を掛けて仲良くなるということができない。仕事の上では機械的な心と人間的な演技力を駆使してやりくりできるが、素の自分はまったく社交性もコミュ力も持ちあわせていない。素の自分のまま仕事をしていたら間違いなくリストラ対象リストの筆頭に載る自信がある。

 

ちなみに私の就職の話をすれば、新卒採用ではなく中途募集に応募して最初の就職先を決めた。卒業まで長い期間待ってもらっての春入社であったが、今思うとそれだけ利益を生むのに身と時間を削らなければいけない仕事ゆえだったのだろう。多少のブラック感は感じつつも、成果主義に慣れることと仕事を通じて得られる知識や人脈が見えたから決めた。あくまでも踏み台の第一ステップとして考えていた。

 

産業構造の空洞化や経済状況を見れば、労働環境はもっと悪化していく。賃金が下がるか、労働環境が劣悪になるか、あるいはその両方か、という時代だ。世の経営者が皆ラリー・ペイジではないし、ジョブズではない。仕事と利益を生み出すのは本当に難しい時代なのだ。

 

世界でも上位の経済大国日本であっても、まだ成長は必要だ。過去に得た富で働かずに生きていけるというのは、一部のオーナー社長か、一部の金持ち家庭のニートくらいであり、それが現実である。

 

つまり、私たちはもっと厳しい状況下に置かれ続けていく。今この状況にヒーヒー言っている学生たちは、マジで生きていけないかもしれない。

 

私はやはり教育過程に問題があると思うのだが、まずは理系か文系かを判断し道を決めさせる教育ではなく、専門技能を持っているか忍耐力が備わっているかを判断し道を決めさせたらどうか。その方がまだマシな気がする。

 

私が経営をしていた頃であれば、どんなに無能な人材であっても真面目な性格かまたは向上心ある性格であれば十分彼らに成果を上げさせるマネジメントができた。でも、多くの会社は技能や責任感、コミュ力などを求めるし、黙ってブラックに耐えろという「モノを言わない忍耐力」も求めてしまう。

 

労働力にそれだけのことを求めても、経営側が雇用形態や賃金で応えられないとなると、そのギャップを埋めるのは中間できりもりするマネジメントの能力あるいはノウハウだ。このあたりも進路洗濯の判断材料として、性格分析と合わせて教育過程の中で管理職向きなのか、言われた仕事をこなすのが得意なのか、少なくとも自覚くらいはさせておいた方がいいだろう。

 

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