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誰にでもできる仕事とその末路


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私は10年くらい前にマスコミの養成所にいて、その業界の現役の人たちと密に過ごしていたこともあり、実務を通して文章だけではなく写真撮影を含めた取材からDTPによる編集全般業務、紙媒体であれば製本から出版まで一連の作業を個人でできるスキルを持っていたりもする。

コミケ参加者(出店したい人)が激増したことからも、同じような能力のある人は多数存在していると思われる。

10年前といえばすでにネットが普及していて、ネット上で文章を公開している人もけっこうな数でいた。個人的にもブログサービスが流行る前から、自作のWebサイトでブログと同じ形式の日記を公開していた。学生なのでDreamweaverもアカデミック版で買えたが、最初はメモ帳を.htm保存して作成していた。

だが、私はマスコミの世界には進まなかった。

その理由が本エントリのタイトルに直結するのだが、個人がメディアとなれる時代において世間に対する発言や表現が「誰にでもできる」ことになったからだ。

誰にでもできる仕事は、他にもたくさん存在する。当然だ。

なぜならツールやテクノロジーが進歩すれば人間の力、つまりプロや職人と呼ばれる人の多くは用済みとなる。緻密な制作は機械がより精密に完成させるし、オートマ車の登場で馬車や人力車は実用性を失い職を追われた。家庭においても全自動の家電が普及したことで結婚の目的のおおきな一つの要素が失われ、既婚率は下がり、離婚率が増えた。

先述のマスコミ云々の世界においても、かつての組版のルールや校正の記号など専門性のある知識や技術を持っていても役に立たなくなった。便利なソフトが登場し、人も時間もかなり削減できる状態にまで変わっていった。

さらに「本」の形にしなくてもよくなった。

無料で日記や意見を発信できるブログサービスの普及や、ツイッターやフェイスブックの流行によって、発信者の満足を得られるようになったと同時に、受け手側が欲しているコンテンツの補充にもなっている。

もはやそこに「クオリティ」はあまり求められなくなった。むしろ「クオリティ」は仕様に求められているので、「素人」でも質が高いプラットフォームを利用すればそれなりに見栄えの良い形で情報を発信できるのである。

文章力の良し悪しは、ネットニュースを見ていれば悪くても多くの人に読まれていることが一目瞭然だ。中身の無い文章だったり、誤字脱字だらけでもYahoo!のトップに出てくればたくさんの目に触れ、さらにツイッターで拡散されていく。

プロと素人の差というのは、その文章をお金に変える方法の違いがあるだけにすぎず、どちらでも食べていくことは可能なのである。どちらかと言えばカリスマ性のある物書きを除いては、プロの売上は減っているのではないだろうか。

生き残る道は他の物書きとの差別化を図ったり、著名人のゴーストライターとして生き残っていきながら雑誌の記事をちょくちょく書いて稼いでいくのが賢明な道だろう。

ただ、差別化を図るためにニッチな記事を狙おうにもネット上にはニッチな記事はごまんと転がっているし、読み手からしたら「誰が書いているか」は気にも触れないから、あとは編集者とのコネを大事に生き残っていくしかない。

文章だけでなく、イラストや音楽、動画コンテンツも同じだ。

製造業においても一部の特殊な製品を除いては、概ねの人員が不要な人材である。

企業には2つの顔があり、1つは株主のために利益を上げる顔、もう1つは従業員を食わせていくために企業を存続させる顔である。

前者に傾倒すれば利益を生まない従業員はどんどん切っていくことになる。後者であっても、例えば1000人の従業員を倒産によって路頭に迷わせないために100人の首切りをおこなうこともある。

その対象となるのが、別にいなくても会社が運営できる不要な人材である。

特に製造業だけに限らずコンテンツ産業においても言えることだが、賃金の高い日本人を雇うよりもローコストで最低限のクオリティで商品を作り出せる海外の労働力を採用する方が、企業から見たら合理的な選択なのだ。

その会社内における社会性や技能を持っていれば「“プロ”の◯◯社従業員」と呼んで良いのだろうが、クビになればただの人という意味では政治家と同じと言ってもそれほど遠くはないだろう。

だが、ツールやテクノロジーの進歩によって「誰にでもできる仕事」が増えている。マニュアルを読み実行する言語能力と労力さえあれば、代替可能なのだ。

どうしても日本人を雇うというのであれば、日本人の賃金を下げるしかないのだが、国内で就労する場合は国内拠点の不動産にかかるコストについても関係してくるため、色々と不利な面も出てくる。

日本人が海外拠点で低賃金で働くということも、今後はどんどん増えてくるだろう。「正社員」というアドバンテージ付きの選択肢が海外拠点にしか用意されていないという厳しい状況も現実的に起こりうるはずだ。

すでに国内では非正規雇用の割合がかなり増えている。

政治的な発言力は高齢世代が力を持っているし、平均寿命は伸びていて100歳まで生きる確率もどんどん上がっていくというから、仮に団塊世代が向こう35年間台頭すると仮定すると今の20代は生涯非正規雇用のままという人も相当な数にのぼるのではないかと思われる。

潤うのは、生き残り成長を続けるであろうグローバル企業の株を保有している企業オーナーや経営者達だ。

グローバル企業は利益を上げるのに有利な拠点で有利な人材採用をし、富を得ていく。日本に納税されない税金の割合が増え、国内で失業者や福祉の世話になる人が増えてくれば歳出が増えていく。そうなると、国は自然と破綻の道を歩むことになる。

日本の国家財政が破綻すれば円は暴落し、国内の賃金も下がることになる。そこで初めてグローバル企業は日本人の正規雇用を拡大しようとするはずだ。

このような利口とも姑息とも取れる経営をするかどうかは、経営者の資質によるものであるが、企業を存続させるためにやむをえずこのような手段を講じることも多々あるだろう。

かつて大多数を占めた「中流」は姿を消すことになる。海外では暴動が起きるような状況に陥った時、日本人の気質であれば自殺者が増えることになる。人知れず、あるいは静かにメッセージを残して、この世を去っていく。

国内のルールだけで会社を運営したり、国内の雇用を守ろうとするならば、鎖国するしかない。原発事故のようなことがあると現実味が激減してしまうのだが、基本的には鎖国は実現可能な政策だ。

だが現実はどんどん世界へ拡大していく路線で動いている。動かざるをえなくなっている。

そしてそもそも、日本の教育はそのような世界を生き抜くための教育を施しておらず、むしろ過保護が目立っている。

こういう一見詰んでる未来を変える政策を打ち出す政治家がいたら、一気にスターダムにのし上がるだろう。


【関連本】

若年層に富が分配されないのは単純に政策と社会の意識の問題だ。経済学・社会学・家族心理学の視点から、若者が「就職しない、家を出ない、結婚しない」原因を分析・指摘した本書は、今の時代を生きる上で必携だ。