いろいろな「はてな」に触れるブログ

基本的には自分用メモの公開版です。オピニオンも書いていくかも。

法治国家と正義


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ダウンロード刑事罰化などで色々と思うことがあります。
と言いつつ、言及するのはアップロードの方の話がメインになりますが。

私と同世代の人たちは、つまり2〜30代の人たちは、非正規雇用だったり、年齢×万円の月給ももらえない職に就いてたり、不安定で信用力に欠ける自営業だったり、ニートだったりする人が多くいます。

このブログでメインに扱っている「不動産投資」のための融資はもちろん、自宅すらローンで購入できず、借りて住む部屋の家賃さえも制限されたりする立場の人が多い世代なのです。
(もっと言えば社会保障面でも圧倒的な社会的弱者です)

私が思うに、音楽や映画などの違法アップロードや、広告モデルで無料のサービスを提供する事業は、そういったお金が無い人を救済するための行動原理があるのだと思っています。お金があるところから収益を得て、お金が無い人に無料で何かを提供するビジネスモデル。

形は違うけど、ラジオなんかも同じ枠だととらえています。

そりゃ、著作権者からしたら「ナンテコトシヤガル!!」ってことになりますけど、前述の理由だったり、プロモーションの一環だと割りきってくれればいいんですけど、みんながみんなそう思って創作活動をしているわけではありません。

音楽であれば多くの人が聴いて覚えて口ずさんでたら、流行の波が生まれてさらにたくさんの人に知れわたり、良い曲であれば多少財布に無理をかけてでもCDってその時でも後の世代の人でも買いますからね。

個人的には世に商品として出す著作物はそうあるべきだと思いますし、本当に良いものが文化として音楽史に刻まれるようになるのだと思っています。

無償で他人の著作物をアップロードする人は、ビジネスに走る音楽業界の上の方の「権力者」に対するアンチ活動でもあるでしょう。だって、違法アップロードしても自分への見返りは無いのですから。海賊版を売ってたら、それは叩かれてしかるべきでしょうけど、音質だって正規版よりは悪くなりますし、そもそも聴いてる人はそれを所有できるわけではないですし。

法律というものは、必ずしも多数派の味方になるものではありません。もちろん法治国家である以上、法律こそが正義であり絶対なのですが。

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はるか昔の日本で、豊臣秀吉が天下を治めていた時代、石川五右衛門は権力者だけを狙って財産を盗み、民衆からヒーロー扱いされていたといいます。そして、五右衛門は秀吉を狙った際に捕まって釜揚げの刑で処刑されました。

当時は政策の失敗で秀吉の人気が落ちていたこともありますが、富や幸福の偏りに対する嫉妬やフラストレーションが富める者や権力者に向かうのは当然です。「幸せなのは義務なんです」なんて価値観は、この頃は一切なかったでしょうし、社会って否が応でも周囲との嫉妬と付き合っていかなきゃいけませんからね。

現代でも五右衛門が英雄視されていることからわかるように、違法なこと(当時の法律はわかりませんが、謀反罪とか窃盗・強盗罪のようなものが適用されたと思います。まー権力側が罪名なんてなんとでもでっちあげられそうですけどw)を悪とする見方よりも、むしろ「五右衛門こそが正義で、権力者が悪」というのが一般的なとらえられ方になっています。

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話を元に戻すと、違法アップロード者は、現代の五右衛門じゃないかと思うわけです。捕まるリスクを冒してでも行動に出るわけですから。

低所得者にも平等に文化的な生活を享受させよう、という意図や正義感があるのでしょう。

ニコ動が貧乏な若年層に圧倒的に支持されているのは、無料で、あるいは月額525円だけで、次々と新しいボカロ曲が発表され、それを生身の声で歌う文化があり、振り付けをつけた踊ってみたとして動画が上がり、加工しておもしろおかしく仕上げたMADで笑いが生まれる、などなど「お金がない社会人や中高生でも楽しめる」サービスと仕組みが出来上がっている(というか自分たちで作り上げたという意識がある)からなんですね。

ただ、制作側にも当然嫉妬心があるわけで、中には「タダで勝手に使われたくない」という人もいれば、気にせず「勝手に使っていいっすよ」って人もいます。

そこは自由でいいと思うのです。

規制する意味は何なのか。規制は誰のためなのか。

音楽であれば、その提供方法の仕組みを設計し直してはどうだろうか。ダウンロード方法と一体でデータの扱い方をしっかり取り決めしてはどうでしょうか。

ただ、そうなると音楽の「聴き方」を制限させることが、結果的には音楽業界の衰退につながるのですから、音楽業界にとってはマイナスですよね。

10月からダウンロードが刑事罰化されます。

内容は実際に施行され何らかの事件となり判決が出るまではなんとも言えない曖昧な感じになっていますが、文化庁の見解ではどうやらメール添付やP2Pでの音楽データのやりとりはOKらしいです。

・・・!?

法治国家=法が絶対、である国の新しい法律としてはあまりにもザル法です。

それに、なんでもかんでも規制するのではなく、ある程度裁量を民間の個々(警察や検察の個々に、ではないですよ!)に委ねる自由さがあっても良いような気もします。

結局、YouTubeを視聴することが違法とされるかもしれませんし、買ったCDをPCに取り込むこと(リッピング)も違法とされるかもしれません。買ったCDを自由に使用できないというのはメチャクチャです。時代をさかのぼってCDプレーヤーだけでしかCDを聴けなくなるということですから、音楽業界はそれを目指して法制化をプッシュしているのでしょう。

これって、別に法規制しなくても、具体的に言ってしまえば某A社が出してるCDが音源と思われる音楽データや映像データが違法アップロードされているのを、某A社が地道に訴えていけばいいだけの気がします。対応が難しければまたお客さんを泥棒だという前提をあからさまにさらけ出しながらCCCDで出せばいいわけですよ。

ニコ動だって、一生懸命違法アップロードの動画を削除し続けて今に至るわけですから。それはどの会社にも必要とされる企業努力というものです。

YouTubeやニコ動でプロモーションしてるアーティストだってたくさんいますし、ダウンロード販売しているアーティストだっているでしょう。

複製可能な音楽データよりも、ライヴ&グッズ販売や握手会やトークセッション等、複製できない価値の提供にビジネスモデルをチェンジしても良いと個人的には思うところです。

最初の話に戻りますけど、CDの形で不要なカラオケとかナシで音楽を聴きたい人に配慮して、あえて廉価で単曲を購入できるダウンロード販売をしているアーティストだっているわけです。

というわけで、音楽業界全体を巻き込んでいっしょくたに規制をする違法ダウンロード刑事罰化には反対の立場を取ります。

王かよ!



佐野眞一ファンとしてはこのタイトルの便乗感はスルーできないんだけど、津田なら許すw