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東京にあるコミュニティと雑感

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私の個人的な感覚なのだが、上京者が「東京は冷たい」「東京砂漠」などという声をリアル社会でもツイッターやらのネット上の無意識のつぶやきでも見聞する機会が多く、その意見に対して「え!?そうだろうか?」と真逆の思いがわいたため、これを書くことにした。

 

「東京にきて孤独だ」という思いや、あるいはその先入観を抱いて上京している人は多くいることだろう。ほぼ全世帯に普及したテレビから20年にわたってCMで起用され流れていた「この東京砂漠~♪」の歌詞が東京が世知辛く冷たい街だというイメージの根源となっている部分はおおいにあり、その先入観が大衆に根付いてしまった。ちなみに内山田洋とクール・ファイブも作詞をした吉田旺も九州出身者だ。それと歌詞の本来の意味とイメージや切り出したフレーズの印象は別物であると断っておく。

 

私は、地方出身・東京在住者のひとりだ。あと数年も経てば人生の半分を東京都民として生きていることになる。

 

東京都の歴史を紐解けば、古くから残っている「足立郡」や「豊島郡」、「葛飾郡」、「多麻(摩)郡」、「国分寺」などの地名が律令制時代から存在していて、大陸からの渡来人も現在の練馬区、西東京市、埼玉県の和光市、朝霞市、志木市新座市(志木・新座の地名は新羅に由来)、狭山市日高市鶴ヶ島市あたりに住んでいた。

 

中世の時代には、歴史上の人物として有名な太田道灌が江戸城を築き平定を目論むものの暗殺され、戦国乱世の中で後北条氏の領地となり、豊臣秀吉小田原征伐後北条氏が滅んだ後は徳川家康の領地となった。

 

関ヶ原の合戦後に江戸幕府(首都は京都)を開き拠点を江戸城とした徳川家は300年の歴史を重ね、人口は100万人を超える世界有数の大都市となった。

 

大政奉還を経て幕藩体制から廃藩置県により「江戸府」、「東京府」と名を変えてゆき、明治天皇が旧江戸城(=皇居)へ転入し東京が事実上の首都となった。

 

大正時代には当時の「東京市」(=概ね現在の千代田区、中央区、新宿区、港区、文京区、台東区、墨田区江東区)の人口が370万人を数え、「東京都」となったのは、第二次世界大戦中の1943年7月1日である。近衛政権以後の戦時体制下で産業や文化の東京への一極集中を加速させた。

 

第二次世界大戦後は都内に208ヵ所もの米軍基地があった。焼け野原からの復興、そして高度成長の中心を担い今日に至るまで大きな発展を遂げ、現在では1,300万人を超える人口を擁し世界屈指の鉄道網や水道等のインフラを有する大都市となっている。

 

  写真で見る東京の歴史

   http://www.metro.tokyo.jp/PROFILE/history.htm

 

大学のメインキャンパスや企業本社の東京一極集中ゆえに、平成9年から15年連続転入超過という状況で、今なお東京の人口は増え続けている。 

 

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さて、毎年のように東京へ流入してくる人たちであるが、小さなコミュニティを見ていくと内訳は概ね分類できる。

 

 ①出身校・サークル

 ②出身地方毎のコミュニティ

 ③宗教・思想・ネットワークビジネス

 ④地元のコミュニティ

 

①の大学やサークルのコミュニティは、おそらく社会の中でもっとも多いだろう。就職後も学閥に分かれて出世や日常のことが決定づけられていったり、サークルを通して交友関係や恋愛・結婚のきっかけが生まれたりする。特に旧帝大・早慶・MARCH あたりは顕著にその傾向があり、企業だけでなく言論界にもその傾向が強く見られ、彼らの仕事や精神の拠り所としてかなり大きな割合を占めている。

 

②は今回のテーマである「東京」になじめない人々の集まりである。同郷者と集団を組んで、「東京は冷たい」「東京にしか仕事がない時代に生まれ不幸だ」といった共通の思いや価値観でつながっている。地方出身の大学生にその傾向が発生しやすく、モラトリアムにもなりやすい。また、根底にある被害者意識を拭えない一面を目の当たりにすることもしばしばある。

 

③は、私の肌感覚では②から流れてくる傾向が圧倒的に多いと思う。地方出身者で大学在学時には仲間がいたものの、就職後にその拠り所が消滅してしまい孤独となり、新たなつながりを求めて思想や宗教でつながるようになる。ネットワークビジネスもここに入ってくる。お香の匂いに包まれたアパレル店舗やマッサージ・整体師業を営む個人事業主や中小企業経営者、フルコミに近い営業職の人がここに分類される傾向が強いように思われる。この近辺には「情報格差を利益にする」、「弱った精神につけ入る」、「良心に訴えかける」といったビジネスが目立つように思う。

 

④は東京都内各地にもともと存在している町内会や地域のコミュニティである。商業的な互助の結び付きが強く、季節の祭や催し事の際にはそれがより顕著に確認できる。廃れていく商店街等もあるが、大資本と共存している商店街も数多く残っていて、もともといる地域の固定客に加え転入者が毎年増えるため客足が鈍らないのだ。大資本のカフェがいくら乱立しようとも、コーヒー1杯がやたら高い喫茶店が地元固定客で席を埋め繁盛していたりする。生粋の東京生まれ・東京育ちのクラスタの方が、こじんまりしたところに避難している感じはあるかもしれない。

 

そして本題だが、①や④に属しなじめている人は上京単身者でも孤独を感じることはあまりないように思われる。そもそも東京で遭遇する冷たい人=東京の“現地人”ではなく、地方出身者同士で接点な生じた際に慣習の違いからお互いに距離感を感じ合っているのではないだろうか。

 

隣同士に住んでいても顔を見合わせる機会が少なく、会話はおろか挨拶も会釈程度で疎遠であったりするケースは、単身者用のワンルームマンションに限らずファミリー世帯向けのマンションでも決して少なくはない。特に子どもがいない場合は接点自体が生じにくい。連絡についても横に回覧板や伝言が伝わるのではなく、縦に戸別に通達が届くスタイルが主流になってきていることも一因だ。

 

価値観の多様化によって、“引越しそば”や“お隣さんから醤油を借りる間柄”といった風習は好まれる場合と煙たがられる場合があり、総じて疎遠な間柄になりやすいのである。マンションであれば管理体制や管理会社のサービス内容、管理人常駐の場合はその人柄などがそのマンションのコミュニティに大きく関わってくる。

 

街に出れば、基本的に寛容な空気が流れている。多くの“外様”を受け入れてこの街は発展してきたからだ。むしろ地方のムラ社会の方が圧倒的に排他的で、東京を含む他地域から地方へ転入した際の“よそ者扱い感”は相当なものだと聞く。プライバシーについても周囲に把握されていることが当たり前といった地元のしがらみに嫌気がさして上京している人だってたくさんいるはずで、だからこそ多様な価値観に対して自他共に寛容になることが必然ともいえるのである。

 

長く住んでいると、同じ東京都内でも路線や地域によって違う空気や風習があることに気づくことになる。最初は「ああ・・・東京は暮らしにくいなぁ・・・」と思っていても、暮らしの中で接する人のつてやメディアを通して自分に合う地域を東京都内できっと見つけられるだろう。それが1,300万人の多様な価値観を抱えながら日々進歩し続けている東京都なのだ。

 

そして東京の寛容な社会に受け入れられるよう、みずからも寛容になる必要がある。私は仕事柄、上京後に都内では千人以上の人と面識以上のコンタクトがあるが、各人の性格によるところも含めて寛容な人の方が圧倒的に多い。経験上、当事者であっても傍観の立ち位置からでも、道を聞いても答えてもらえず途方に暮れている人には1人も遭遇したことがない。

 

しいて言えば、関西出身の人がボケてもツッコミが入らないことにより寂しさを感じるシーンはあるかもしれない。ただそれは文化や風習の違いであって、非寛容というのとは違う。

 

他方、地方出身者による在京者へのコンプレックスが逆の非寛容を生じさせている面はおおいにある。個人単位であってもそうだし、県警と警視庁の間にもそういう面があることを描写した文学作品や映画もある。地方自治体と中央官庁の間にもそういったお上に対し屈しているという意識があるはずで、昨今の地方自治体首長経験者による中央政権打破の流れは、単に統治機構の効率化だけでなく、心理的なコンプレックスによるものも大きいはずだ。

 

話をもとに戻すと、外国人観光客や子どもの集団等、文化の違いやルールを知らないケースを除いては、公共交通機関ではしっかりマナーが守られているし、基本的に東京ひとり暮らしでも自宅のカギは開けっ放しで大丈夫だ(もちろん変な人はどこにでもいるので万が一に備えてロックは必須だが・・・)

 

そして余計なおせっかいや詮索をされることもない一方で、パワーバランスによらない助けあいの精神はしっかり有している。ゲリラ豪雨で雨宿りしたビルの主が降りてきて「降ってきましたねぇ、どうぞ」と傘をいただき助かった経験も何度もある。(暗に「人のビルで雨宿りするなよってことだ、察しろよ」っていうメッセージかもしれないけどw)

 

逆に寛容でない結果を生んでしまう人は、上京後も地元のルールを頑なに守り続けたり、あつかましく他者への配慮もなしに横暴な振る舞いをしていたり、自分の殻にとじこもりがちな人だ。東京だってれっきとした「郷」であり、従うべきルールは定められている。

 

個人的に目に付くのは、都内の路上喫煙禁止区で喫煙している人の大半が関西弁をしゃべっているということだ。これはまったく先入観や偏見無しに思うところである。「郷に入らば郷に従え」の観念を持たずにいるのだろうが、東京にだってローカルルールがあるということを彼らはまったく意識していない。おおいなる勘違いである。

 

東京は決して冷たい街ではない。個が多く存在しているがゆえに、公を尊重しているため、個別対応や特別扱いが地方よりもされにくい傾向はある。また、公共機関や交通機関がそういう設計になっている(電車やバスの発車を個人の理由で待ってくれたりはせず、運行数を増やすことで全員が便利に使えるよう対応している)

 

とはいえ、例えば路上で酔いつぶれていたら声をかけ安否確認で行動してくれる人は、個人レベルで、あるいはしかるべき管理者などで必ず存在している。見かけた人が自ら介抱してくれる場合もあれば、見てみぬふりをしているようでしっかり警察や駅員等へ通報して助けを呼んでくれていたりする。

 

空気を読んでか、よほどのDQNでない限り妊婦や老人には席を譲っている。

 

人は徒党を組んで集団になった時の方が排他的であり危険なのかもしれない。『ひぐらしのなく頃に』等がよいサンプルだが、血筋や考えによって集団を形成すると一気に窮屈で「個」を消して生きなければいけなくなる。

 

個を重んじた集合体であるからこそ、東京は秩序ある都市たりえるのかもしれない。

 

絶対的な人口数や、企業が集中するがゆえ多発する経済犯罪件数等で都市部では犯罪件数が総じて多い傾向にあるが、首都圏の人口に対する犯罪発生率は三大都市圏の中で最も低く、東京都の犯罪発生率も特段高くない。

   

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いまや多くの人にとって、東京は「大学在学中だけ一時的に住む場所」ではなくなっている。都内に本社や庁舎を構える職場へ就職したとしてももちろん異動で各地を転々とする場合もあるが、先に紹介した転入超過の実情どおりそのまま東京が終の棲家となる場合も多々ある。

 

人によって東京が冷たい人ばかりかどうかといった見解はだいぶ違うだろうけど、私が10年位上住んできた東京については、「入れ物」としては便利な上秩序ある空気が形成されるし、生活の拠点としての東京もまた適度な距離感と互助の精神をもった良き社会を形成していると思っている。

 

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