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「ハシシタ」問題を機に、橋下徹の素性と政策を考えてみる

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事の概要

 

最新号の『週刊朝日』( http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=14316 )で大阪市長・橋下徹の血脈を描いたルポが世に出された。

 

 

橋下徹という人物を炙り出すために、そのルーツである父親の出自を取材した内容だ。

 

この連載はノンフィクション作家の佐野眞一が書いている。佐野眞一は個人的には大好きな物書きなのだが、このエントリはそのバイアスをできる限り除去して書こうと思う。

 

佐野は以前から対象者の生い立ちやルーツを取材し書くというスタンスを取っている。今回は週刊朝日側の意図する文脈を形成するために、あえてその道で実力も実績もある佐野に依頼したのではないか。佐野自身も若き頃は歌舞伎町のヤクザの下でタウン誌の記者をしていた過去を持つ。ダークな分野には抵抗なく踏み込める佐野に白羽の矢が立つことは自然な流れともいえる。

 

連載のタイトルは「ハシシタ 救世主か衆愚の王か」。

 

「ハシシタ」という「橋の下=河原乞食や屠殺業」を連想させる差別的なタイトルについても、週刊誌らしい切り口であり、嘘半分で読んでくれという前提でのアプローチではないか。ただ、今回問題なのは、「朝日新聞が100%株主である子会社」ということだ。つまり、公共性の高い新聞社傘下の週刊誌が、被差別部落のタブーに触れていいのか、という問題である。

 

実際には朝日新聞と週刊朝日の間には深い連携など無いのだろうが、橋下のカウンター攻撃を想定していなかった部分においてはもう少し連携がとれていた方がよかったといえる。

 

新聞社の傘下にある週刊誌は、他のゴシップ誌とは立ち位置が違う。世間的には公平公正とされる「新聞社」と同じ『週刊“朝日”』なり、『サンデー“毎日”』なりの“親の名”を冠している。記事は右寄り・左寄りはありながらも、出版社系週刊誌のようなエロ記事もなければ、タブーにも切り込まないのが不文律であった。

 

新聞社系週刊誌は内容がおとなしいため発行部数が少なく、『読売ウィークリー』にいたっては休刊に追い込まれている。つまり、ハッキリ言っておもしろくないのだ。

 
だが、今回の記事では真正面から「被差別部落」に踏み込んだ。これでもかというくらいド真ん中に、直球勝負で。
 
記事を読めばわかるが、取材対象としては信憑性が弱く佐野の主観でほぼすべて書かれている。橋下もマスコミも騒いでいるが、内容としては話半分で読む読み物としての、ありがちな「週刊誌のゴシップ記事」である。
 
「テキヤの口上」、「香具師まがいの身振り」、「恐ろしく暗い目をした男」、「わざとらしい作り笑い」、「裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない」、「その場の人気取りだけが目的の動物的衝動」、「おべんちゃらと薄汚い遊泳術で生きてきた」、「汚物である」、「(パーティーは)ダフヤもどきの連中の集まり」、「人間のクズ」、「(橋下に確固たる政治信条が無いから)政治手法を検証するつもりはない」、「一夜漬けのにわか勉強で身につけた床屋政談なみの空虚な政治的戯言」「非寛容な人格」・・・
 
といった具合に、橋下に向けた負の表現が随所に散りばめられた佐野独特の皮肉混じりの文章表現で、テンポ良く書かれている。基本的にはアンチ橋下の目線で書かれたルポであり、橋下にたいして嫌悪感を抱いている人々にとっては、『週刊文春』や『週刊新潮』に続く痛快な記事であっただろう。佐野は橋下徹の父の縁戚に接触し、その後日本維新の会旗揚げパーティー会場でも取材をしている。
 
取材対象の橋下支持の老人の怪しい人物像も、橋下の評価を下げる意図が見える。主観が入りすぎているので、ノンフィクションというよりはフィクションとして読む記事かもしれない。だが、情報を「受動的に」得ている人々は、極度にかかったバイアスも含めてそれを事実として受け止める危険がある。
 
佐野の論理としては、「政治理念が無い橋下の政治手法を紐解いても仕方がない、非寛容な橋下の本性にスポットを当てるべき」であり、そのためには「橋下のルーツを調べ上げねばならない」というのがおおまかなところだ。
 
そして橋下の父の縁戚という男へのインタビューで、父親が被差別部落出身であること、奈良の少年院に入っていたこと、ギャンブル狂だったこと、彫師へ貸したカネのカタとして大きな入墨を入れたこと、シャブ(覚せい剤)を打っていたこと、ガス管を咥えて自殺したこと、従兄弟が金属バット殺人をしたこと、を過去を振り返り明かしている。
 
連載はまだ第1回目だ。この後の展開は個人的な趣味の観点からも、現実社会における影響の観点からも、おおいに興味がある。
 
週刊朝日』の編集長である河畠大四は、小学館時代に『女性セブン』や『SAPIO』に携わった経歴の持ち主だ。堅苦しい新聞社の生え抜きの人材ではないため、橋下は親であり記者クラブ加盟の朝日新聞社をからめて間接的な圧力を掛けようとしているが、出版社系週刊誌なみの切り口でこのまま連載が進んでいくかどうかという点は、連載内容と同等に興味深くおもしろい。
 
(追記)
この問題に対し、朝日新聞社、朝日新聞出版ともにコメントを発表した。連載は終わってしまうらしい。まあそうなるだろうが、続きについては書籍の形でちゃっかり出版してほしいものである。
 
 
 
橋下は「ハシシタ」なのか
 
橋下は母子家庭の長男であり、妹と三人家族で育った。前出の実父は橋下が小学2年生の時に自殺している。小学5年生の頃に大阪へ転居し、中高の時代はラグビーに勤しみ、全国大会にも出場しベスト16まで勝ち進んだ。大学受験では苦労し、1年の浪人を経て早大政経学部へ進学した。
 
橋下の人生は反骨心の上に成り立っている。弁護士を目指したきっかけが、学生時分にアパレル事業をしていた際に不渡り手形をつかまされた経験だったという。そして大学卒業と同じ年に、司法試験に合格している。
 
弁護士時代には爆笑問題が所属するタイタンに芸能活動のマネジメントを委託し、同事務所の顧問弁護士を勤めながらタレント弁護士として『行列のできる法律相談所』で知名度を上げていった。
 
実際の弁護士としての活動は、悪名高き商工ローン会社「シティズ」の顧問弁護士を5年も請け負っていたりもした。弁護士が食えないと言われる時代だ。グレーゾーン金利をめぐり「あちら側に立つかこちら側に立つか」の違いにすぎないが、橋下の黒歴史としては有名な話である。
 
 ※橋下についてのダークサイドについてはこちらも参考になる
  橋下徹 最も危険な政治家
  橋下徹市長調査報告書
  橋下徹氏の生い立ちから府知事選出馬まで    
 
そしてそれまでの茶髪にサングラスといった風貌から一転し、黒髪スーツにネクタイ姿へ改め大阪府知事へ出馬、見事当選。教育・福祉改革、インフラ整備、情報公開の徹底等さまざまな改革に着手したが、とりわけ「複式簿記・発生主義」を導入した功績は大きい。
 
現職だった平松邦夫大阪市長の任期満了に伴う選挙に照準を合わせて府知事を辞任し、平成の坂本龍馬をもじった「維新八策」や「大阪都構想」を掲げ、平松を退け大阪市長に当選。現在に至る。
 
そして良くも悪くも現在の日本で最も注目を集める政治家となり、今回の週刊誌の出版へとつながっていったのである。
 
橋下の母によれば、橋下家は代々の同和地区住民ではなく、祖父の代に転入したというが、その祖父は「橋下(ハシシタ)」という名の多い別の非差別部落出身であると『週刊文春』(2011年11月3日号)で報じられたことがある。また、母によれば「ハシシタ」を「ハシモト」に改めたのは、橋下が生まれた時点で祖父母との因縁を断ち切る決意によるものだったと述べている。また、本人はそのことについてはよく知らないはずとも言っている。
 
橋下自身は会見で「僕の名前は『ハシモト』ですから、『ハシシタ』ではありません」と断言している。

 
言論の世界では、「血による人格攻撃許さずまじ」の論調が主流を占めている。橋下も「血脈思想は危険である」として朝日グループ各社の見解を求めている。
 
そもそも、「この親にして、この子あり」という文脈には、過去の膨大な歴史資料を紐解いて様々な事例を取り出してみても無理がある。もちろんカエルの子はカエルである場合もあるが、トンビがタカを生むこともあれば、親の七光りで一国の首相になることだってあるわけだ。
 
今の時代は、マスメディアを経由しなくても、ツイッターや個人メディアで大衆に向けてオピニオンや情報を発信することができる。「第4の権力」が暴走していても、それに立ち向かえるツールが今はある
 
きな臭い人生を歩んでいる者は、えてしてとっさに嘘を吐きそれを塗り固めるように嘘を重ねていく。一部マスコミによる橋下叩きも、叩いてホコリまみれにしようという魂胆でいるのだろうが、法律を盾ににも剣にもして「ペンの暴力」を弾き返す橋下に悪戦苦闘している。
 
今回は橋下についてだけでなく、特定の地域の名称を出して被差別部落としているが、これは橋下の支持云々にとどまらず各方面からバッシングが起こる可能性をおおいにはらんでいる。橋下を窮地に追い込むつもりが、逆に朝日の立場が危うくなっている。
 
 
 
橋下が行おうとしている経済財政政策
 
きな臭い報道で逆風を当てられながらも、橋下はれっきとした改革者である。同じく改革者と言われた小泉純一郎は後継が続かずに改革半ばで潰えたが、改革に踏み出した織田信長を踏み台にして豊臣、そして徳川300年へと続いたように、橋下の改革の肝は「橋下後」まで見据える必要がある。
 
その前提で、橋下がいま行おうとしている政策の是非を考えてみよう。
 
そもそも政治や行政の役割とは何か。それは、民衆が特定の家屋に居住し、食べるに困らず、着るものも確保できた生活を維持するための環境を整えることである。
 
今のままの大阪府・大阪市の政治・行政では、財政難に陥り、結果国の財政も圧迫することになる。地方が崩れ、その地方を国が支えられなくなれば国民生活の血液とも言える「お金」の価値が大暴落し、生活がメチャクチャになるのだ。大阪都構想はそのリスクを回避するための構想である。
 
維新八策」の概要は下記のとおりである。
 
 ・統治機構の作り直し~決定でき、責任を負う統治の仕組みへ~
 ・財政・行政・政治改革~スリムで機動的な政府へ~
 ・公務員制度改革~官民を超えて活躍できる政策専門家へ~
 ・教育改革~世界水準の教育復活へ~
 ・社会保障制度改革~真の弱者支援に徹し持続可能な制度へ~
 ・経済政策・雇用政策・税制~未来への希望の再構築~
 ・外交・防衛~主権・平和・国益を守る万全の備えを~
 ・憲法改正~決定できる統治機構の本格的再構築~
 
よく具体的な政策が何も無いと言われるが、中身についてはブレーンを交えて固めていけばよい。橋下周辺には堺屋太一大前研一竹中平蔵といった改革色の強いブレーンが顔を並べている。
 
主な方向性としては、小さな政府を目指すことと個人の自助努力に重きを置いた新自由主義を背景にしている。首相公選制、参議院の廃止など国の統治機構を変える憲法改正がらみの項目も注目すべき点だ。
 
まず「小さな政府」の理想形として「道州制」を掲げている。これは、中央集権型で多様化する民衆のニーズに応えることに限界があるため、早かれ遅かれそうせざるをえないだろう。
 
成長率云々の具体案が無いばかりかあまり成長戦略には触れていない反面、税制や福祉については国民総背番号制を基盤に置いた「負の所得税」や「ベーシックインカム」の導入を掲げている。そして、競争の原理を同時に盛り込み、両輪で制度改革に臨もうとしている。つまり、「成長の芽をつぶさず、セーフティネットを敷く」というもっとも理想的な成長方針である。
 
格差是正の政策は、その根底を注視する必要がある。富裕層目線での格差是正なのか、貧困層目線での格差是正なのか。橋下の場合は後者だろう。それは「ハシシタ」のくだりでも触れたとおり、彼自身が成り上がりの人間だからである。そして、後者の思想が根底にある格差是正であることが、社会にとっても望ましい。
 
さて、よくある橋下批判として「無政府主義」というものがある。国家財政を圧迫しているのは地方交付税によるところであり、地方の財政意識の希薄化にもつながっている。橋下は地方間での財政調整制度を提言し、消費税についても完全地方税しようとしている。
 
だが、いくら地方分権が進もうとも地方間格差是正のために再分配機能としての政府の存在は欠かせない。、また、消費税の地方税化をする場合は課税自主権が地方にあるため、税率は各自治体で横並びではなくなる。他の自治体と税率が異なるということは、仕入れルートによっては「実質無税」という商売を目論む民間業者が横行することになる。
 
現在の消費税5%は、国の消費税4%+地方の消費税1%という内訳になっている。橋下がもし地方で直接税として消費税を活かしたいのであれば、このうちの1%を上げ下げできるような法改正をすべきだ。つまり、5%を丸々地方税化し、そのパーセンテージの調整権を地方が持つということではなく、あくまで国税は残した方が良い。
 
なぜなら、地方間格差を地方間で補助を出し合う場合、必ず財政状況の良い自治体から反発が起こるからだ。政府の力を弱めて地方の力を強化した場合、その傾向は現状よりさらに強まるはずであり、そうならないためにも国による再分配機能を一定規模で残しておく必要がある
 
また、大阪都構想を成功モデルとして仮に成果を残せた後、全国道州制に向けり経済的に脆弱な地方に対し地方分権化を牽引していけるかどうかも懸念される。あくまでも大阪圏の経済規模での成功モデルで終わってしまう可能性はおおいにある。橋下が目指している「道州制」には、まだまだ課題が山積みであり、実績も次々と積み上げていかなければならない。
 
ここまでが、マクロな部分での橋下の経済財政政策と課題である。
 
そろそろ具体的な政策を発表し、炎上するにしても政策を燃料とするような流れになってほしいものだ。
 
橋下徹関連の書籍】

  

 橋下本人、橋下肯定派、否定派の複数の視点で「橋下徹」という人物を浮き彫りにし、私たちの生活を任せて良い人物かを判断せよ。

 

【朝日新聞で連載された「部落差別問題」】