東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅直結の四谷消防署。
その消防署内には、「消防博物館」がある。
入場料はなんと無料!
平日親子連れの観覧客が絶えず、週末も入場できる。(閉館日は月曜日)
博物館はヘリコプターがある5階から降りていく順路で回るとよい。
小さな子連れの観覧客が多いのは、子どもが喜ぶからだろう。
地下1階には消防車や救急車の実物も置いてあり、一部乗ったり消防服を纏って写真撮影することも可能だ。
5階屋内には江戸の古地図もある。
5階が江戸時代の火消しに関する資料が展示されている。
【車長持】
火事の時に大切なものを入れて運び出すための箱。保険制度が無かった頃に用いられたものだが、逃げ道を塞ぐこともあり後に禁止された。
【大名火消しの出動風景】
当時、大名は火事装束に身を包んで家臣を従えて火事場に出動した。「明暦の大火」以降、火災被害の拡大を防ぐために幕府直属の常設消防隊として旗本がその命を受けた。この時に専用の火消屋敷が作られ火消し役がそこに寝泊まりしたのが、現在の消防署のルーツとなっている。
江戸時代の消防活動は、家を破壊して火が燃え広がらないようにするものだった。
江戸時代には有名な「明暦の大火」が起こり、現在の文京区本郷に位置する本妙寺から出火した火が2日間にわたり燃え広がり、江戸の実に2/3を焼きつくし死者10万人以上の被害があった。原因は同じ振袖を着た娘が3人続けて病死し、その供養のために振袖を焼いたところ火の着いた振袖が舞い上がって寺に燃え移ったといわれている。
この「明暦の大火」と「目黒行人坂の大火」、「丙寅の大火」を総称して「江戸の三大大火」という。江戸時代の火事では他に「八百屋お七火事」というものがある。恋焦がれた16歳のお七が放火し、お七は放火の罪で火あぶりにされた。
4階に降りると、明治時代の消防に関する資料が展示されている。
当時の消防活動に用いられた車両。「赤バイ」なんてものもあった。明治になると武家火消しが廃止され、公設の消防機関が誕生した。また、江戸時代とはうってかわって消火方法は破壊消火から注水消火へと移行した。
当時の火災報知機。
当時の新聞記事や写真資料も保存されている。
明治→大正→昭和30年代の消火風景。明治時代までは手動や馬引きの消防機械だったが、大正時代以降は機械化が進み通報設備なども整備されている。現在の「119番」の前進は大正時代に設置された。
3階に降りると現代の消防関連資料が展示されていて、VTRやゲーム、乗れる車両などがあり、体験学習のスペースになっている。
消防服を着て記念撮影もできる。
2階を飛ばして1階に降りると、消防ヘリコプターがお出迎え。
吹き抜けになっている階段を降りて地下1階に降りると、たくさんの消防車がある。
消防マニアにはたまらないスペースである。外国製のポンプ車やはしご車は、関東大震災で起こった火災旋風の凄惨な被害を受けての消防力強化のために輸入されたものだ。ここでも消防服を着て記念撮影ができる。
手軽に経済的に消防史を学び楽しめる「消防博物館」はオススメだ。
http://www.tfd.metro.tokyo.jp/ts/museum.html
【関連本】