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いろいろな「はてな」に触れるブログ

基本的には自分用メモの公開版です。オピニオンも書いていくかも。

「国」と「民主主義」のあるべき姿


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http://www.dailymotion.com/video/xtgvfv_yyy-yyyy-yyy-yyyyy-12y09y11y_news
報ステ 石原伸晃 ナマポ 尊厳死発言-2012年09月11日


動画は一部しか無いのだが、今回の一連の石原発言について私はこう解釈した。

生活保護について・・・生活保護ビジネスは、社会保障費を圧迫する温床だから悪だ
尊厳死について・・・脳死状態の延命措置は、社会保障費を圧迫する温床だから悪だ
福島原発第一サティアン・・・東電はオウム真理教のような悪しき組織だ


■「国」の存在意義

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国が存在している理由は、国民の身体の安全と所有権を守ることである。
(さらに言うと、そのために暴力装置=軍事・防衛機能を持ち、その維持のために徴税権を持つ)

その意義に沿えば、国政に携わる石原から出た発言としては、第一サティアンはさておき社会保障関連の発言については全体を守るという観点が本音にあるということなので正しい。

生活保護受給をあっせんするビジネスが生活保護受給者を増やすことになるが、次課長の河本やキンコン梶原のような悪質な事例も多々あるはずだし、受けずに生活できるのに国の財源に寄生して財政を蝕む者を社会悪と位置付けるのは当然である。

尊厳死についても自民党が医師会に見放されたからこそ発言できることでもあるが、むしろよく言ったと言うべき発言だ。医療現場は他の分野と比べてとりわけ倫理観が持ち込まれるものだ。尊厳死という選択を肯定することは、多くの患者の家族を救うことにもなる。

件の発言は本質的には間違っていないのだが、建前としては間違った。限られた時間の中で発言するべきことではなかったし、慎重にゆっくりと説明できる場で発言するべきだった。

それこそ編集や時間の制約の緩いニコ生に登場しても良かっただろう。「ナマポ」という言葉を使うならなおさらだ。

政治家は合理的に国民を守る政策を考えなければいけない一方で、国民感情を考えなければいけない。

ただ、この発言で石原は圧倒的に支持を失っただろう。何より石原総理では自民党が選挙に勝てない空気が既にできあがってしまった。石原には石原家と親しい間柄からの票が集まるだけでまず落選は間違いない。


■大きな国家を目指した末路

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国はこれまで二枚舌とは言わずとも全体を守りつつ個別のクラスタも尊重し守ってきた経緯がある。自民党なら各業界団体だし、民主党なら日教組自治労だ。そしてさらに小さい単位で個人を守ってきた。

いくら財政赤字が増えようとも無理くり雇用を生み出し(維持し)、ばらまきを行なってきたのだ。大中小を問わず企業を倒産から守ることで個人の生計を守ろうとしてきた。国民各人の身体の安全と所有権を守るという国の存在意義に照らし合わせれば正しいし合点がいく。

企業に例えれば、1万人の従業員を路頭に迷わせる廃業を選ぶよりは、1000人をリストラして会社を立て直し9000人を救う、ということと似ている。

今回石原が叩かれているのは「トカゲの尻尾きりはけしからん!」と思われたからだ。弱者切り捨ては政治家にあるまじき行為だ、というのもまた国民感情としてごく自然にわく思いであろう。

そもそも国は行政サービスのパイを大きくしすぎた。行政サービスを拡大するということは、そういった不満の声もより多く背負わなければいけないことなのだ。そしてそれ以前の問題として、お金の運用がヘタクソな民族が高福祉国家を目指したことが、私が思う日本国家の失敗である。

国は生活の大前提だけを行えば良かったのだ。

今の国は、色々なことにまで手を出しすぎていて、その分パイが大きくなりすぎているが故に維持費が高額になっているのだ。これはきっと雇用創出のためという目的もあったのだろうが代償があまりにも大きすぎ、結果的に国民を苦しめることになった責任は重大だ。

結果的に企業を通して間接的に個人を守れなくなったため、直接的なセーフティネットである生活保護制度が脚光を浴びているのが現状である。

財政を圧迫している根源として明らかに不要なものの代表格が年金や失業保険だ。こんなものははっきり言って国が用意しなくても良い。お金の運用自体は徴収と再分配によるものであって、運用率云々というのは民間の投資商品とは別の観点から見て良い性質のものであるが、年金制度の維持費が相当かかっている。社保庁の人件費や徴収の仕組みを維持するための費用がムダなのだ。

たとえば水道(国と地方を区別せずここでは取り上げることにする)は生命維持のためには必要だ。だが、ゴミ回収は民間だけでも十分足りる。

生活保護なんて、入居率が著しく下がって半分廃墟のようになっている公営団地を無償提供して配膳車で食事を配れば済む話である。戸数が足りないと言われると思うが、何も1世帯1戸である必要はない。体育館のような場所にマットを敷いて雨風を防ぎつつ水も食料も提供される環境さえあれば事足りるはずだ。

だけど、それは非人間的な生活を強いることになる!という文法で必ず反発が起こるし、その意見ももっともであるから生活保護受給者に一定の裁量を与えている。

そこに「合理性」は無い。

事業仕分けが失敗したのは、合理性が個々の雇用、つまり全体よりも個人の雇用が優先されたからであった。合理性が民主主義には求められないことを明らかにした象徴的な事例である。

民主主義には「功利主義」や「合理性」を求めてはいけない。古い世代の言葉を借りて言えば「ナンセンス」である。

独裁政権の失敗の歴史を鑑みて民主主義がベターであるということであって、民主主義は決して完璧な統治ではない。

民主主義においては政治家は民意を吸い上げて国政に反映させなければいけないのだが、民意が特定の支持者の意志に置き換わっているのが現状で、ゆえに政策や発言が特定の団体の意志に傾倒してしまうのは、現状の選挙制度や間接民主制の極めて重大な弱点なのである。。

全国的に不人気な政治家でも地元の有権者に支持されているから再選する、という議員がいるのもそのためだ。人気取りで選挙にだけ強い議員が存在しているのも問題である。

そして、自民党が政権を追われ、民主党が支持を失っている原因は「民主主義だから」なのだ。一部のクラスタに傾倒していれば、他の圧倒的多数から反発が起こるのは当たり前だ。自民も民主も「選挙に勝つ」ことをベースにおいて政治に関わっているから全体が見えなくなり、多数派の意見が見えなくなる。

これは制度や仕組みの問題だ。

打開策としてネットを使った直接民主制だったり、一般意志を認識するためにニコ生を使うのが良いなどといった様々な意見がある。合理的に一般意志を把握するには、間接民主制のままであればインタラクティブな場で反応を見ながら政治を行うのがベターだろうし、民衆の要望を集めるにはグーグルのアルゴリズムを転用するのが現段階では最適解かもしれない。


■合理性が通用しない民主主義国家

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ともあれ政治は人間の営みだ。必ずしも合理性だけを求めなくても良いし、嫌で独自にアナーキーな生活を始める人がいても良いだろう。そして様々な考え方でクラスタが分かれ、時には争うこともあるだろう。多様性を認めるということは、統治をむずかしくし、治安が乱れる可能性を高めるということだ。

そろそろ民主主義の次の統治のあり方を、真剣に考えなければいけない段階にきているのかもしれない。

全体の合理性を無視して、個々の欲望が重視されてしまうのが民主主義であることを、今一度私たちは認識するべきだ。


(追記)
サティアン発言はすぐに撤回した。だが、今後石原が総裁となる日がくることはないだろう。


【関連本】

民主主義の限界に直面して、ルソーの一般意志を掘り返し新しい民意の吸い上げ方法を、半分夢として提案する名著。
この対談( http://synodos.livedoor.biz/archives/1869932.html )を読んで興味が持てれば一読の価値は絶対にある。