読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いろいろな「はてな」に触れるブログ

基本的には自分用メモの公開版です。オピニオンも書いていくかも。

二次元要素を三次元に活かす!ヒキヲタが成果を挙げた営業術

娯楽 文化


このエントリーをはてなブックマークに追加

f:id:ma_co_chi:20111211120201j:image:w360

「オタク」の呼称は、その者たちがお互いに「おたく」と呼び合っていたことが起源なんだそうです。

「君」や「あなた」ではなく、「おたく」というのは、よくヲタがリュックにラノベやマンガをわざわざ入れて持ち歩いていることに象徴されるように、帰属するものやあるいは拠り所とするものをヤドカリがごとく背負っているためで、ヤドカリの殻(家のような感覚)も含めて呼ぶため、「おたく」という複数の意味を含んだ呼び方になるんだそうな。

オタクが出現したのが1970年代からといわれていますが、その頃は国家に帰属していることが不安になった時期で、政治への不信感や高度成長の終焉の背景があり、個々人が拠り所とするものを失い、それを補完しようとした行動様式のひとつがオタクの出現なんだとか。

そして、帰属する様々な世界観を求めて、いわゆる二次元の世界に傾倒していくのです。

時代とともに、オタクは「萌え追求」と「独自の世界観」に走るヲタへと変化していきました。思考が単純化しているのです。そして、大半が性的な対象に集約されています。

具体的にいうと、初期のガンダムの時代にはその世界観に関心が向けられ、その世界観にのめり込んでいきました。時代は変わり、似たような設定でガンダム同様人気を博したエヴァは、フィギュアやエロ同人誌のネタとして関心が向けられ、また本作もガンダムのような続編も含めて一貫性があるようなものではなく、断片的で視聴者が各自でオリジナルな解釈ができる構成をあえてしていました。

同人のネタになるように、あえて材料だけを提供したようなものです。

オタクが個人主義である以上、少なくとも“社会通念上”という概念が、オタクには通用しない向きがあります。コミケでは我先と目当てのブースまで周囲をないがしろにしながら突き進み、独善的な批判や批評をするが、自らの言動に責任を背負う気概など微塵も垣間見えなかったり。店で他人とすれ違う時にも気遣いが全く無く、狭い通り道のど真ん中で立ち往生して歩行者の流れを止めていることにも気付かなかったり。

最近では社会の目を気にしてか、ヲタ共に最低限のまっとうな規律を持たせようという自浄活動も目立つようになってきました。

なによりです(=^▽^=)

極端に視野が狭い、というより現実世界に無関心なのだ。無関心でいたいのか、無関心にならざるをえないのか。コミュニケーションも、情報交換の目的以外ではしない。継続した“仲間”を維持しようとするコミュニケーションを取ることは稀だ。

ただ二次元が好きなだけならいいですが、二次元にしか価値を見出だせなかったり、居場所を見出だせないあたりまでくると精神病の可能性を疑ってしまうこともあります。

現実社会から逃避するのは利口な選択だという自己正当化で、社会からドロップアウトしていく。悪いのは環境、生まれてきた時代が悪かった、親に恵まれなかった、等々のちょっと閉鎖的な負の思考に陥ってしまうとマズいです。

私自身も社会人の何年目かまでは、自分の非を認めずに他人や環境のせいにしていたために、成長を止めていた時期がありました。

そういう状態の時には周囲が言っていることは別次元(自分の思考よりも低次元)の話ととらえがちで、被害妄想的にものごとを受け止めてしまうことが多かったのです。自己肯定が強いがために、誤った判断さえも正当化してしまったりとか・・・。

私の場合は、それを複数の上司に徹底的に指摘され、それでも受け入れられないから荒療治も施されて、それでも直らなかった私を嘆きながらも身を呈して私をかばい、傷付き、涙してくれた人の心意気に感服して立ち直りました。今でも付き合いがありますが、弁慶のような人だしたw

逃げ出さなかった頑固さがあったのが、唯一の救いでした。

ただ、それまで無かった他人の目の意識が強くなりすぎて、自分が他人にどう思われているのだろうかということを考え過ぎるようになってしまいました。

私は根が善人ではないから、表面上は善人になって他人からも善人だと思われるようにはなれても、腹の内では嫉妬やひがみが芽生えてためこんでしまいます。

逆に、自分の思い通りに行動すると、それを他人が悪く思うのではないかと考えて頭を痛めてしまいます。

こういう時に、宗教入信や二次元への逃げ込みは、精神安定剤になるのでしょう。ただし、学生時代に勧誘が激しいことで有名なとある宗教の信者を徹底的に批判して逆にその宗教を辞めさせたくらいに、私は頑固でしたので、何かに逃げることは無かったです。

割と機械的な頭の持ち主だと自覚しています。が、そんな味気ない性格の私が、こともあろうに「営業」の仕事をしていたのです。

人間性を買ってもらう仕事に就いたのは、自分の足りないところを育てようという意図もありましたが、三つ子の魂百までで、性格は変わりません。

f:id:ma_co_chi:20121001014912j:image:w360

そこで、ヲタ的なデータベース思考で、まるでゲームをするかのように現実世界のビジネスをしていくことにしました。

人の心理さえも、ゲーム感覚で操作して購買意欲を掻き立てて、契約が成り立つことが、体験的にわかりました。

契約が成り立てば高額ののインセンティブを手にできる仕事でした。イケイケの人間臭い熱血営業マンとは違い、相手を分析して相手のステータス値を計って的確に段階を踏んでいくような営業でトップ成績を収めたこともありました。

これって、ちょっとグーグル的な感じだったかもしれません。人間の行動原理を無機的に分析して収益を上げる会社ですからね、グーグルって(違ってたらスミマセン><)

私の顧客は、比較的高学歴で年収が高く、各企業や団体で要職に就いている人が比較的多かったように思います。彼らは、感情では動きません。損得勘定が支配的な思考回路でものごとを判断します。欲しくないものを、値引いたり褒めたりとあの手この手で欲しい気持ちにさせる熱血営業、もとい上っ面の営業は通用しないわけです。

その人が欲しているものや、理想としているものに、販売している商品を関連付けることが大事でした。当たり前のことですが、その幅と奥行きは営業マンによって雲泥の差があります。

パズルゲームの感覚に似ているかもしれません。そこに必要なピースを的確にはめこむと点数が稼げたり有利な展開になったりする、そんなゲーム感覚。

RPGの要素もあります。事前にあれこれこういう展開をしておいて、その前提があって次のイベントが成り立つというような段階を踏む営業手法も有効でした。物語をツクールのです。

ヲタは、ただ消費するだけでなく、オリジナルのストーリーを同人誌にまとめたり、元ネタのデータを解析してMAD動画を製作したりする能力を持っています。

その能力を、内々だけで楽しむために使うだけにとどまらず、表社会で存分に活かせば優秀な社会人になるだろうし、経済の活性化の一翼を担う原動力にもなりうると個人的には思っています。

だから、自室にこもってMAD動画を作ったり、ネット社会でのみ神的なネタを投下している人は、現実世界でそれを活かす方法を本気で考えるべきだと思います。