いろいろな「はてな」に触れるブログ

基本的には自分用メモの公開版です。オピニオンも書いていくかも。

ブラック企業も社畜もどっちもどっち

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ブラック企業と社畜は同罪

 

 現役ブラック企業社長が、社員を安くこき使う華麗な手口を暴露!

 http://biz-journal.jp/2012/10/post_928.html

 若者よ、「やりがい搾取」に気をつけろ

 http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/17097

 

結論をまず言うと、「会社が社員の人生を背負っている」という概念からそろそろ脱却したらどうかね?ということ。そういうスタンスで書いていることを前提に読んでいただければと思う。

 

産業の空洞化で雇用問題が浮き彫りになっているさなかではあるが、昔のような経営者と労働者の対立意識というのは単なる社畜の言い訳にすぎないわけで、能力主義における役割の違いが賃金に反映されているだけの契約関係でしかないのが本質である。

 

ブラック企業で働いていて過労死したとかいう話を、不謹慎にも内心冷笑してしまうのは、そうした時代錯誤な感覚にとらわれていてはどのみちヌケガラのような人生しか歩めないのではないか、という結論にいたってしまうからだ。

 

経営者に搾取されているという被害者意識は、裏を返せば「傲慢」だ。

 

「エサをくれないと、かわいいワタシは死んじゃうよ~」とペットが言っているようなものだ。捕食能力なき生物が自然界から淘汰されるのが必然であるように、会社との契約関係において対立と調和を使い分けながら関係を維持していく力の無いものが会社を追われるのもまた必然である。

 

そして野生に出て行っても生きていけないから、ならばと最期をイヤガラセに近い主張を突きつけて終える。どんな行動を取るかはその人次第だ。

 

  参考記事:ブラック企業のススメ

  http://macochi.hatenablog.com/entry/20120810/1349120278

 

 

若者は不幸なのか?

 

 NHK「プロジェクト2030」

 http://www.nhk.or.jp/shutoken/2030/

 

私の話をしよう。生まれが裕福でもなければ学歴も無い、資格も無い、社交的でもない、体も弱い、コネも無い。そんな私でも、ブラック企業で業界内での実績を積んで上場企業への転職に成功し、そのキャリアを引っさげて資金を募り会社も興した。

 

従業員として働いていた間は、とにかくその会社で必要とされる人材になろうと尽力した。青ざめた顔をしながら仕事をしていて「大丈夫か?」と声をかけられても「大丈夫です」と答えつつ、実際に倒れるまで働き詰めたこともあった。だがこれは自己管理の問題だ。

 

だから労災を請求しようとも、会社を去って失業保険をせしめようとも思わなかった。自分のその会社での成長や、将来他の会社へ移った時にも通用するような自分自身のあり方というものにありつきたかったのだ。意地もあった。あったが、その意地を貫くことはあえて自我を殺すことだとも、その中で気づいた。

 

起業後の際の人材が足りない分野や資金を分配できない業務については自らの時間と労力をそこに配分して補った。初めてやることも多々あったが、アウトソーシングで外部に投げれば経費がかさむため、プライベートの時間も相当費やした。普通にやれば3ヵ月で覚える分野の業務でも、3倍の密度で1日にかける時間を2倍に増やせば半月でこなせるようになる。

 

さて、プロジェクト2030に出てくる人たちは、たしかに不遇もあるが、総じて己に原因があると見ている。

 

学歴が無い、中退歴がマイナスに働いてしまう、スーツを買うお金が無い、だから雇ってもらえない・・・と彼らは思っているが、辞めずに続く人間かどうかや、しっかり仕事に取り組むかどうかの性格は、面接時のやりとりの中でだいたい判断できる。しかも彼らは「作っていない」姿で応募しているからよりハッキリとわかる。その上で採用試験に落ちているのだ。

 

その会社に入社しようと本来の我を消して「作った」姿で面接に望み、それを勤務中はずっと続けることが社会人になるということであり、今のところそれが世間的にも“主流”とされる生き方である。

 

いわゆる「社畜」への第一歩だ。社畜として猫をかぶり職場で愛想を振りまいていれば、たいていの人間関係は円滑に進むし、周囲から好かれて得られる恩恵もある。

 

だが、「プロジェクト2030」に出てくる彼らは自分の視点しか持っていないし、自分が変わって周囲と同じ色に染まろうとしない。上っ面すら変えられないのである。

 

会社というものは、たとえば上司がどんな気持ちで何を考えながら部下を指導したり叱責しているのか、その実情は内心で滅入っている場合が大半だ。だが、彼らはそこまで視野が及ばないから、人情的な調整もできず組織の中での連携も取れない。

 

そして「貧困」という状況にだけ危機感を感じていて、肝心の「自分自身の未熟さ」や「自分が変わらないこと」への危機感を持っていない。

 

よく「自分が変われば世界が変わる」というが、彼らは変わらない。それは、傲慢だ。

 

就活が上手くいかない理由に「私はどの会社にも受け入れてもらえない」と嘆いているバカがいるが、逆に「お前が会社に受け入れられようとしてんのか?」と論破されて終了である。それでも自分を受け入れてくれる会社に出会うために何十社も何百社もまわりたいのなら、企業の方針や社長の著書でも読んで一点突破を狙った方が精神的にも健全さを保てるのではなかろうか。

 

昨今の採用の現場では、職能よりも性格分析によって成否が決まる傾向が強い。それは新卒採用だけでなく、キャリア採用においてもである。そして、会社の考えと相思相愛であること、会社のカラーと一致していることを選考書類、SPIの回答、論述試験、面接時に一貫してアピールすればまず落ちることはない。

 

「志望動機」や「何にやりがいを感じるか」や「入社後にどんな仕事がしたいか」といった質問は、ハッキリ言って特に自分の考えなど持っていなくても良い。会社に対するおべっかを自分を主語にした言い回しで伝えれば採用担当の好印象を得られる。

 

「◯◯はできますか?」と聞かれた時にこれはチャンスだととっさに「はい!できます!誰よりも上手くできます!」とできもせずにでっちあげて、実際に披露しなければならない機会までに死に物狂いで修得する。要はウソでもそれを本当にする努力をするかどうかであり、発言に対する責任を果たせるかどうか、その資質により社会的な成功の可否が決まる。それはこの番組で出てくるような「自分を変えない傲慢な若者たち」には到底できないことだし、彼らが底辺から抜け出せない最大の要因である。

 

一応複眼的思考ということで、逆の観点で就活について言及している下記の記事も参考にしてみたら良い。

 

 脱社畜ブログ:就活で自分を偽ると、内定後に地獄を見る

 http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/09/13/202742

 

 

生きるのが上手い(巧い)とはこういうこと

 

 「今日はニューヨークからボスが来る日だ。さっさとスタバに避難しようぜ!」

 http://markethack.net/archives/51847922.html

 

 逆に甘い組織体制から搾取を「する」職員も存在している

 http://www.saitama-np.co.jp/news10/27/02.htm

 

企業が労働者を搾取しているというのは相当穿った見方だ。上の件なんかは、勤務先の体質をよく知った上で巧妙なつきあい方をしている良い例である。

 

そもそも、世の中は要領よく生きたもの勝ちだ。

 

たとえば文章を書く能力に乏しい有名人(仮にHさんとしよう)が編集者と仲良くなって、ゴーストライターが書いた本がH名義で世に出るなんてことも珍しい話ではない。明らかに刃牙に似ているのに美少女枠でゴリ押しされる女優だっている。逆に再生数の自演に失敗して国際的に赤っ恥を書いた海外アーティストもいる。

 

つまり、処世術(天性のものも多々あるが)やコネクション形成術に長けていれば、資格や技能は事実上不問な仕事もあり、お金を稼げるのだ。世の社長たちを見てみればわかるが、有能で敏腕な社長が数多いる一方で、仕事ができない社長もたくさんいる。

 

無能なのは大企業で無難に経歴を積み重ねた社長や二世ばかりではない。中小企業の成り上がりのような社長だって、自身は無能でも仕事ができるNo.2への寵愛だけはソツがなくそのNo.2に食わせてもらってるというケースはよくある話だ。そしてそのNo.2だっていつかはその社長を踏み台にして見捨て、飛躍するタイミングを虎視眈々と窺っているものである。

 

人間関係や、会社と従業員の関係なんて、そんなものだ。

 

 

継続は力なり

 

1982年生まれの私が義務教育で教わったことで最も印象的だったのは、「部活は3年間辞めずに続けなさい」ということだ。内申書も「3年続けたこと」がプラスの評価になる。「教わった」のは当時だけでなく、その後に起こる様々な現象と照らしあわせてみても考えさせられることがいくつもあったために今でも覚えている。この「継続すること」が、社会一般的にはよしとされる。

 

高校に進学すると、部活どころか通学も続けられずに定時制にドロップアウトして暴走族に入った同級生もいたし、友達がいなくてポツンとしてたクラスメイトが皆勤賞を取っていたりもした。

 

社会で生きていくためには、多少の苦境には耐えつつ継続していくことが不可欠だ。だが、「3年の部活」の指導のせいかどうか定かではないが、私が社会人4年目になったあたりで「3年で辞める若者」的なニュースが話題になったりしていた。小泉改革でそこそこ景気の良い時期に入社できたものの、辞めて非正規雇用になった。あるいは入社時に安易に非正規で採用された同世代が多かった。

 

私の生まれた家庭は医療でさえサラ金で借りなければいけない程度の貧しい家庭ゆえに、自発的に新聞奨学生として進学し、18歳以降は親からの支援を一切絶って自立を果たした。そこで働く他の奨学生は8割方が朝夕刊配達の生活サイクルと集金ノルマに追われて講義に出席せず、留年や除籍にまで追い込まれていた。

 

そんな同僚を横目に、私は両立し続けた。取得単位数はトップだった。幸か不幸か、新聞奨学生を経験することとなった境遇が、卒業後勤めることになるブラック企業での苦難を和らげることとなり、周囲の離職と自身の成績の上積みにより役職を上げていき、収入で言えば同年代平均の倍以上あった。

 

車を持たない世代と世間から言われる中でもベンツに乗っていたし、25歳の頃には自宅も購入した。

 

かくいう私は年齢にしたら転職回数はかなり多い方であり、箇条書きの職務経歴書では「継続できないヤバイ人」と見られるのは間違いない。だが根幹部分の考えは一貫している。よほど人事が弱い会社でなければ、会社をコロコロ変えていても良い待遇で迎え入れてくれるものだ。

 

 公務員だけど後輩が辞めたんだけどなんかいろいろ考えた。

 

公務員って基本的に採算性度外視で無駄の垂れ流しOKの雇用の受け皿だと思ってるから、入ったら続けるべきだと思うんだが・・・。

 

余談だが、生活保護受給者の増加は実際は公務員採用で拾うよりもナマポで払った方がコストが低いからなんだと認識している。

 

結論は最初に書いたけど、とりあえずお互いに敵対視しないでやっていこうよw

 

【面接バイブル】